2009年11月04日
61歳で亡くなると言うことは早いと感じた
広島にいた(野球)の三村敏之氏が61歳で亡くなったという記事を見て
父も61だった事を思い出した。
61歳ってまだまだ若いと思った。

親父は11月には62になるはずであったが、誕生会は出来なかった。
仕事は55歳で早めに定年し、約7年遊び残したことをやっていたので
悔いは無かったと思うが、実に行動的な野生オヤジだった。
三村さんは楽天にブラウン監督を招いて最期を迎え野球人生と共に
生涯を終えた。
優秀な方だったようです。
********
実家には親父の遺影が2枚ある。
1つは先祖と並んで仏間に
もう1つは葬式の祭壇にあったものを無理をいって貰った。
処分するというので、それなら・・・というわけである。
実際家に持ち帰るとかなり大きい。
額にいれたらさらに大きくなった。
誰も口には出さなかったが
妹と私が「これ、サダム フセインだよな」。。。
笑ってはいるがどことなく似ている。
自己中心的な印象が強かったので、見るたびに似ていると思うようになった。
今は母一人の寝室にかけてあるが、暗いときに写真をみると「ビクッ!」とする。
ココ最近夢によく登場するのだが、私を迎えに来ているのか、心配しているのか、なんとか言えよ!
********
昨日、何を思ったか、自分の顔をデジカメで撮ってみた。
何枚撮っても気に入らない。
老けたな~というか、間延びしてるようなバカ面にしか見えない。
25歳前後は自分で言うのもなんだけど、メッチャモテモテだったのに
こんな顔のオッサンになってしまうと、誰にも相手にされないことを確信した。
バーテンのバイトをしながらバンドを組んで遊んでいた頃がなつかしい。。。
父も61だった事を思い出した。
61歳ってまだまだ若いと思った。

親父は11月には62になるはずであったが、誕生会は出来なかった。
仕事は55歳で早めに定年し、約7年遊び残したことをやっていたので
悔いは無かったと思うが、実に行動的な野生オヤジだった。
三村さんは楽天にブラウン監督を招いて最期を迎え野球人生と共に
生涯を終えた。
優秀な方だったようです。
********
実家には親父の遺影が2枚ある。
1つは先祖と並んで仏間に
もう1つは葬式の祭壇にあったものを無理をいって貰った。
処分するというので、それなら・・・というわけである。
実際家に持ち帰るとかなり大きい。
額にいれたらさらに大きくなった。
誰も口には出さなかったが
妹と私が「これ、サダム フセインだよな」。。。
笑ってはいるがどことなく似ている。
自己中心的な印象が強かったので、見るたびに似ていると思うようになった。
今は母一人の寝室にかけてあるが、暗いときに写真をみると「ビクッ!」とする。
ココ最近夢によく登場するのだが、私を迎えに来ているのか、心配しているのか、なんとか言えよ!
********
昨日、何を思ったか、自分の顔をデジカメで撮ってみた。
何枚撮っても気に入らない。
老けたな~というか、間延びしてるようなバカ面にしか見えない。
25歳前後は自分で言うのもなんだけど、メッチャモテモテだったのに
こんな顔のオッサンになってしまうと、誰にも相手にされないことを確信した。
バーテンのバイトをしながらバンドを組んで遊んでいた頃がなつかしい。。。
2009年07月11日
牧野池か牧野が池か
地元の原住民は「牧野池」と昔から呼んでいました。
昭和50年頃からでしょうか
誰が名付けたか知らないが、いつしか「牧野ケ池」「牧野が池」と呼ばれるように。。。
東山公園の東側に「西山」という、これまた旧家の多い地域があります。ここの住民からも
「なんで牧野ケ池なんだ?」と問い合わせがあったようです。
余談ですが、
「高針」から見て西側にある山だから「西山」、前に山があるから「前山」
今の前山小学校あたりは田んぼだったので「前田(でした)」
環状高針ジャンクションあたりは、「鴻の巣」とありますが、原住民は「このす」と呼んでいました。
日進市の「香久山」も昔は「株山」だったと記憶します。
話が、それましたが、どうも「牧野ケ池」という名を「牧野池」にするようなことになってます。
そうなると国土地理院まで上がって行くそうですが、重鎮たちの思いは強いようです。
私も「牧野池」で育ちました。
牧野池に貯められた水を田に引き米を作ったり、その用水でモロコやセンペラを採ったり
池では鯉の産卵時期ともなれば群れを成し、葦にバシャバシャと卵を産んでいました。
周囲の山では「チョットコイ!チョットコイ..」とコジュケイ鳴き、カイツブリが水面を渡る。
誰が持ち込んだかわからないガチョウや白鳥、ミドリガメ、変な熱帯魚><
ブラックバスにブルーギル。。。悲しくなります。水草も同じ。昔はあんなのなかった!
手長エビや、タナゴがいっぱいいたけど、今はどうなってるのかな~
思い出深い人には「牧野ケ池」がなじめません。
こういうことを言う人がだんだん少なくなっていることも事実です。
昭和50年頃からでしょうか
誰が名付けたか知らないが、いつしか「牧野ケ池」「牧野が池」と呼ばれるように。。。
東山公園の東側に「西山」という、これまた旧家の多い地域があります。ここの住民からも
「なんで牧野ケ池なんだ?」と問い合わせがあったようです。
余談ですが、
「高針」から見て西側にある山だから「西山」、前に山があるから「前山」
今の前山小学校あたりは田んぼだったので「前田(でした)」
環状高針ジャンクションあたりは、「鴻の巣」とありますが、原住民は「このす」と呼んでいました。
日進市の「香久山」も昔は「株山」だったと記憶します。
話が、それましたが、どうも「牧野ケ池」という名を「牧野池」にするようなことになってます。
そうなると国土地理院まで上がって行くそうですが、重鎮たちの思いは強いようです。
私も「牧野池」で育ちました。
牧野池に貯められた水を田に引き米を作ったり、その用水でモロコやセンペラを採ったり
池では鯉の産卵時期ともなれば群れを成し、葦にバシャバシャと卵を産んでいました。
周囲の山では「チョットコイ!チョットコイ..」とコジュケイ鳴き、カイツブリが水面を渡る。
誰が持ち込んだかわからないガチョウや白鳥、ミドリガメ、変な熱帯魚><
ブラックバスにブルーギル。。。悲しくなります。水草も同じ。昔はあんなのなかった!
手長エビや、タナゴがいっぱいいたけど、今はどうなってるのかな~
思い出深い人には「牧野ケ池」がなじめません。
こういうことを言う人がだんだん少なくなっていることも事実です。
2009年07月09日
菊石
父は趣味が多彩でした。
春は山菜・・こごみ、こしあぶら、姫竹、ウド、ぜんまい、わらびなど山ほど採ってきた。というかつきあわされた。これも、後処理が大変だけど、食べれば美味しい。
川釣りが解禁になれば、釣る前日に餌捕りに1日かけていたな。狙いは、アマゴ、岩魚。今でも釣竿などの道具が残っているが、大部分は釣り仲間に形見わけした。
中学3年の頃に岐阜の石徹白から奥へ6時間ほど登山客に混じって山を登り(あくまでも目的は釣り)登山客と挨拶を交わすのだが、リュックから出た釣竿を見て不思議がられた思い出がある。
どこかの源流から逆釣りでイワナを釣った時の思いでは今でも鮮明である。魚篭が壊れるくらい釣れた。てか、壊れたんだ。。。仕方なくゴミ袋に入れてリュックに入れて持ってきた。45㎝以上あったかな!イワナ!滝つぼのような所で釣れた。中学生の私が釣れるくらいだから、誰一人入っていない川だったのでしょう。3人で行ったのですが、あまりの過酷さに「もう1度」という話は出なかった。
父の川遊びは琵琶湖の琵琶鱒で終わる。琵琶湖にはゴリ、稚鮎などが成長する過程の都度捕ってきたな。
11月15日からは狩猟の解禁日で父はもっぱら鳥専門。キジ、山鳥が主だった。だから冬の食卓は毎日鳥のすき焼き。
そのため、毎日宴会してた。どこから聞くともなく来客が1人2人3人4人・・・ま、人が集まる家というのは悪くは無い。今となっては、法事の時くらいで、因果なものね。
父がこれらの趣味と平行してやっていたのが、石や流木の収集ほとんど拾って来てたか、値切り倒して購入してたな。。。
その1つがこれ


1つの石ころにこれだけ思い出が詰まってる。。。
春は山菜・・こごみ、こしあぶら、姫竹、ウド、ぜんまい、わらびなど山ほど採ってきた。というかつきあわされた。これも、後処理が大変だけど、食べれば美味しい。
川釣りが解禁になれば、釣る前日に餌捕りに1日かけていたな。狙いは、アマゴ、岩魚。今でも釣竿などの道具が残っているが、大部分は釣り仲間に形見わけした。
中学3年の頃に岐阜の石徹白から奥へ6時間ほど登山客に混じって山を登り(あくまでも目的は釣り)登山客と挨拶を交わすのだが、リュックから出た釣竿を見て不思議がられた思い出がある。
どこかの源流から逆釣りでイワナを釣った時の思いでは今でも鮮明である。魚篭が壊れるくらい釣れた。てか、壊れたんだ。。。仕方なくゴミ袋に入れてリュックに入れて持ってきた。45㎝以上あったかな!イワナ!滝つぼのような所で釣れた。中学生の私が釣れるくらいだから、誰一人入っていない川だったのでしょう。3人で行ったのですが、あまりの過酷さに「もう1度」という話は出なかった。
父の川遊びは琵琶湖の琵琶鱒で終わる。琵琶湖にはゴリ、稚鮎などが成長する過程の都度捕ってきたな。
11月15日からは狩猟の解禁日で父はもっぱら鳥専門。キジ、山鳥が主だった。だから冬の食卓は毎日鳥のすき焼き。
そのため、毎日宴会してた。どこから聞くともなく来客が1人2人3人4人・・・ま、人が集まる家というのは悪くは無い。今となっては、法事の時くらいで、因果なものね。
父がこれらの趣味と平行してやっていたのが、石や流木の収集ほとんど拾って来てたか、値切り倒して購入してたな。。。
その1つがこれ
10cm×15cmぐらいかな。重さは1.7キロでした
花の直径は5cmぐらい。
1つの石ころにこれだけ思い出が詰まってる。。。
2009年07月07日
2009年06月21日
よく見ると
これも、30年ほど前のこと
親父と川へ行って拾ってきました
この時代は綺麗な石やら流木などを磨いて
家に飾るのがステイタスだったのでしょうかね~(^-^)


どちらも30cm弱の菊石です。
川で拾ってきました。
もっと、彩りの良いものは高価に売買されてるようですね~
※買ってきたものはUPしません(^^ゞ
下の1輪のヤツは。。。どこだったか有名な所のヤツで
直径20cmの花が大きな岩にた~くさんあったような記憶があります。
きっと、今じゃ天然記念物とかになってるのでしょうね~。。。
親父と川へ行って拾ってきました
この時代は綺麗な石やら流木などを磨いて
家に飾るのがステイタスだったのでしょうかね~(^-^)


どちらも30cm弱の菊石です。
川で拾ってきました。
もっと、彩りの良いものは高価に売買されてるようですね~
※買ってきたものはUPしません(^^ゞ
下の1輪のヤツは。。。どこだったか有名な所のヤツで
直径20cmの花が大きな岩にた~くさんあったような記憶があります。
きっと、今じゃ天然記念物とかになってるのでしょうね~。。。




